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最高裁判所大法廷 昭和46年(あ)2147号 判決

主文

原判決及び第一審判決を破棄する。

被告人を罰金五、〇〇〇円に処する。

被告人において右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

原審及び第一審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

検察官の上告趣意第三の一について。

所論は、第一審判決が、三年以下の懲役又は一〇万円以下の罰金を法定している国家公務員法(以下「国公法」という。)一一〇条一項一九号を被告人の本件政治的行為に適用することは、当該行為に対する制裁として著しく均衡を失し、一般職の国家公務員(以下「公務員」という。)の政治的行為を制限する法目的を達成するために必要にして最小限度の域をはるかに超え、右の限度において同条は憲法二一条、三一条に違反すると判断して被告人を無罪とし、原判決がこれを是認したのは、いずれも憲法の解釈を誤るものであるというのである。

一よつて考えるに、被告人の本件行為に対し適用されるべき国公法一〇二条一項、人事院規則一四―七(以下「規則」という。)五項一号、六項八号は、公務員に対し、公選による公職の選挙において、特定の候補者を支持する政治的目的をもつて、右選挙において、投票するように勧誘運動をするという政治的行為を禁止し、同法一一〇条一項一九号は、その違反に対し刑罰を科する旨を規定しているが、右の罰則が憲法二一条、三一条に違反せず、また、たとえ原判決及び第一審判決の判示する事情のもとにおける被告人の本件行為にこれを適用したとしても憲法の右各法条に違反するものでないことは、当裁判所昭和四四年(あ)第一五〇一号同四十年一一月六日大法廷判決の趣旨に照らして明らかである。なお、原判決及び第一審判決は、右の罰則の定める法定刑が重く、被告人の本件行為との間に著しく均衡を失している旨を判示しているが、本件において問題とされる規則五項一号、六項八号の政治的行為は、公職の選挙において特定の候補者を支持する目的でする投票の勧誘運動であつて、政治的行為の中でも党派的偏向の最も顕著なものであり、公務員の政治的中立性を損うおそれが極めて大きいのであるから、このような違法性の強い政治的行為に対して前記の程度の法定刑を定めたとしても、罰刑の均衡を失し著しく不合理であるということはできないのである。

二以上のとおり、第一審判決及び原判決は、いずれも憲法二一条、三一条の解釈を誤るものであるから、論旨は理由がある。よつて、上告趣意中のその余の所論に対する判断を省略し、刑訴法四一〇条一項本文により第一審判決及び原判決を破棄し、直ちに判決をすることができるものと認めて、同法四一三条但書により被告事件についてさらに判決する。

第一審判決の認定によると、被告人は、徳島郵便局に勤務する郵政事務官であるが、昭和四〇年七月四日施行の参議院議員通常選挙に際し、徳島地方区から立候補した日本共産党公認候補武知寿及び全国区から立候補した同党公認候補須藤五郎を支持する政治的目的をもつて、同年六月二一日午後八時頃から午後一〇時頃までの間、徳島県名西郡神山町下分字今井九四番地の下分公民館で開催された両候補者の個人演説会において、司会を行い、約三〇名の聴衆に対し両候補者に投票されたい旨の演説をし、もつて両候補者に投票するように勧誘運動をした、というのである(第一審第一二回公判調書中の被告人の供述記載、景山耕資、津田弘忠、東精一、原田キミ子、多田年一、矢内敏弘、西野幸子、長瀬正男、山本浅一、松浦守の検察官に対する各供述調書、徳島郵便局長作成の捜査回答書による)。この事実に法令を適用すると、被告人の行為は、国公法一一〇条一項一九号(刑法六条、一〇条により罰金額の寡額は昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法二条一項所定の額による。)、一〇二条一項、規則五項一号、六項八号に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その範囲内で被告人を罰金五、〇〇〇円に処し、刑法一八条により被告人において右罰金を完納することができないときは金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、刑訴法一八一条一項本文により第一審及び原審の訴訟費用は被告人の負担とし、主文のとおり判決する。

この判決は、裁判官大隅健一郎、同関根小郷、同小川信雄、同坂本吉勝の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官大隅健一郎、同関根小郷、同小川信雄、同坂本吉勝の反対意見は、次のとおりである。

検察官の上告趣意について。

所論は、多数意見記載のような経過で、第一審判決が被告人を無罪とし、原判決がこれを是認した判断につき、憲法二一条、三一条の解釈の誤りと判例違反とを主張するものである。

思うに、国公法一〇二条一項は、同法一一〇条一項一九号の構成要件を委任する部分に関するかぎり憲法四一条、一五条一項、一六条、二一条及び三一条に違反し、無効であり、これに反する従来の最高裁判所の判決は変更すべきものであることは、当裁判所昭和四四年(あ)第一五〇一号同四九年一一月六日大法廷判決における反対意見のとおりである。したがつて、本件被告人の行為に適用されるかぎりにおいて規則五項一号、六項八号の規定を無効として被告人を無罪とした原判決は、結論において正当であるから、結局、本件上告は理由がなく、棄却すべきである。

検察官横井大三、同辻辰三郎、同石井春水、同佐藤忠雄、同外村隆公判出席(村上朝一 関根小郷 藤林益三 岡原昌男 小川信雄 下田武三 岸盛一 天野武一 坂本吉勝 岸上康夫 江里口清雄 大塚喜一郎 高辻正己 吉田豊)(大隅健一郎は、退官のため署名押印することができない)

検察官の上告趣意

目次

第一 原判決がその法律判断の前提として認定した事実

第二 原判決の法律判断

第三 上告趣意

一 憲法違反

1 違憲審査の基本的態度について

2 憲法三一条の解釈適用の誤りについて

3 憲法二一条の解釈適用の誤りについて

二 判例違反

1 昭和三三年三月一二日および同年四月一六日最高裁大法廷判決違反

2 昭和四〇年七月一四日および昭和四四年四月二日最高裁大法廷判決違反

結び

原判決は、憲法の解釈を誤り、最高裁判所の判例と相反する判断をしたものであつて、破棄を免れないものと信ずる。

第一 原判決がその法律判断の前提として認定した事実

一 被告人は、徳島郵便局に勤務する郵政事務官であるが、昭和四〇年七月四日施行の参議院議員通常選挙に際し、徳崎地方区から立候補した日本共産党公認候補武知寿ならびに全国区から立候補した日本共産党公認候補須藤五郎を支持する目的で、同年六月二一日午後八時頃から午後一〇時頃までの間、徳島県名西郡神山町下分字今井九四番地下分公民館において、両候補の個人演説会が開催された際司会を行ない、約三〇名の聴衆に対し、両候補者に投票されたい旨の演説をなし、以て両候補者に投票するよう勧誘運動をして政治的行為をしたものであること。

この事実は、公訴事実のとおりであつて、第一審判決は、このうち「司会を行ない……演説をなし、」とある部分を「単に司会行為に付随して演説をしただけである」と認定したため、検察官の控訴趣意において事実誤認である旨主張したところ、原判決は第一審判決の趣旨も公訴事実を否定する趣旨ではないとしているので、公訴事実どおりの事実が認められたものとして取り扱うこととする。

なお、右事実が国家公務員法(以下国公法と略称する。)一〇二条一項、人事院規則(以下人規と略称する。)一四―七、五項一号、六項八号所定の政治的行為に該当することにも争いはない。

二 被告人の勤務していた郵便局は、いわゆる現業官庁であつて、公共性は有するものの公社と大差のない非権力的性格の官庁であること。

三 被告人は、当時徳島郵便局調査第一課第一調査係の一係員であつて、管理職ではなかつたこと。

四 被告人の担当していた職務は、郵便局内部における書類の形式的な点検や計算などの比較的単純な仕事で、いわゆる行政的な裁量を必要とする職務ではなく、いわば機械的な事務であつたこと。

五 被告人の本件行為は、勤務時間外の夜間、その職務ないしは職務上の施設を利用することなく、勤務先から遠く離れた場所で行なつたものであること。

六 被告人の本件行為は、選挙の際の演説会の司会とそれに付随した選挙演説であるが、場所は徳島県でもかなりの奥地に属する山村の公民館であり、聴衆も三〇名程度であつて、国民に郵便局の業務につき不安、不信、疑惑を抱かせる程度のものとは見られないこと。

この部分には単なる事実以上に裁判所の評価がふくまれているが、原判決がその憲法解釈の前提とした事実としてそのまま掲げる。

第二 原判決の法律判断

原判決の法律判断の趣旨は必ずしも明確ではないが、前段において、第一審判決は国公法一〇二条一項が被告人のような国家公務員がした本件のような政治的行為に適用されることとなつても憲法二一条に違反するとまでは判断していないとし、自らもこの点について判断せず、後段において、被告人の本件行為が国公法一〇二条一項に該当するとしても、同法一一〇条一項一九号により被告人に対し刑罰を科することができるかどうかが本件における重要な問題であるとしたうえ、第一審判決が、少なくとも被告人の本件のような行為についてまで三年以下の懲役または一〇万円以下の罰金というような刑罰を科している限りにおいて国公法一一〇条一項一九号は憲法二一条、三一条に違反し無効であるとしたのは相当であるとしているので、これによつて見ると、原判決の趣旨は被告人の本件のような行為に刑罰または相当高い刑罰までふくむ法定刑をもつて臨むことが憲法二一条に違反し、さらに同法三一条に違反するというにあるものと思われる。もつとも、第一審判決を仔細に検討すると、第一審判決が、右のように、政治的行為を規制することの適否の問題とその規制違反に刑事制裁を加えることの適否の問題とを区別し、後者についてのみ判断を加えていると見うるかどうかについては多少の疑問がないことはない。なぜならば、第一審判決は「……各般の事情に照らすと、一般職の国家公務員すべてに対し、一律かつ広汎にわたつて政治活動を禁止、制限したうえ、その違反に対し刑罰まで科することとしている国公法第一〇二条第一項、第一一〇条第一項一九号、人規一四―七の規制は、特に憲法二一条、第三一条の関係で許されないのではないか」といい、公務員の政治活動の自由を制約しうる程度は、「具体的、個別的に、職務上の行為と職務外の行為、勤務時間中の行為と勤務時間外の行為を区別し、各後者については自由が原則であるべきこと、或いは、国の政策決定に重要な影響を及ぼす職とそうでない職、権力行使を伴う職とそうでない職など担当職務の相違に応じ、政治活動の制約にもその程度、範囲に差異を設けることがあつて然るべきこと、これらに関連して、制限違反に対する制裁にも、刑罰を科するか、懲戒事由たるに止めるかの相違を設けるのが相当であること、などを考慮して行なわなければならない」としている点よりすれば、政治活動自体の規制とその規制違反に対する制裁とを総合して違憲判断を行なつているように見えるからである。しかし、原判決もいうように、第一審判決は、国公法一〇二条一項、人規一四―七が被告人の本件のような行為にまで禁止の規制を加えているのは妥当を欠くとし、この面では当不当の問題にとどまるが如くいつているのに反し、国家公務員の政治活動に対する制裁として懲戒処分のみでなく三年以下の懲役または一〇万円以下の罰金を科することとなつている点を捉え、国公法一一〇条一項は、「本件のごとく、勤務時間外にその職務上の施設を利用することなく単に司会行為に付随して演説したにすぎないような場合についてまで三年以下の懲役または一〇万円以下の罰金という刑罰をもつて臨むことは、その行為と著しく均衡を失するものであり、法目的達成のための合理的で必要最小限度の域をはるかにこえるものと断じなければならない」とし、「したがつて、国公法一一〇条第一項第一九号は、少くとも、被告人の本件のごとき行為についてまで右のように重い刑罰を科している限りにおいて、憲法第二一条、第三一条に違反することが明白であり、結局無効である」としている点よりして、政治的行為に対する規制の厳しさよりも、規制違反に対する制裁の厳しさに違憲の根拠を求めていると思われる。

それにしても、違憲の法令上の根拠を憲法二一条、三一条の両条に求めている理由ははつきりしない。判文全体から推察すれば、被告人の本件行為の如きものまで禁止の規制を加えることは、憲法一五条に規定する公務員の全体に対する奉仕者性を考慮に入れても、憲法二一条の表現の自由の保障に照らし妥当でないので、被告人の本件所為の規制違反は重いものではなく、従つてこれに対する国公法一一〇条一項の刑罰は被告人の本件所為との関係で必要最小限度の域をはるかにこえ、原判決が考える憲法三一条の保障に違反するという趣旨であろう。

そうすれば、原判決は、憲法三一条の解釈を誤り、さらには憲法二一条の解釈を誤つたものというべきである。

よつて以下この二点に重点を置いて所見を述べることとする。

第三 上告趣意

一 憲法違反

1 違憲審査の基本的態度について

原判決の憲法三一条、さらには憲法二一条の解釈適用の誤りを指摘する前に、裁判所の違憲審査の基本的態度について一言しておきたい。

法律が憲法に違反しているかどうかを判断するに際しては、法律が民主主義の大原則のもとに、公選された国会議員により、社会の実情等を種々考慮して審議、制定されるものであるから、できるかぎりその裁量措置を尊重し、その規定が一般的に明白にその裁量権を逸脱したものと認められる場合にかぎりこれを違憲と判断すべきであつて、立法の際における裁量基準に多少の異論があるからといつて憲法に違反するとすべきではないと考える。

このことは、例えば昭和四〇年七月一四日最高裁大法廷判決(民集一九巻五号一一九八頁)が地方公務員法五二条と憲法二八条との関係についてではあるが、次のように述べているところにも現れている。

「憲法二八条の保障する勤労者の団結権等は、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とし、みだりに制限することを許さないものであるが、絶対無制限のものではなく、公共の福祉のために制限を受けるのはやむを得ないこと、当裁判所の屡次の判決の示すところである。……そして、右の制限の程度は、勤労者の団結権等を尊重すべき必要と公共の福祉を確保する必要とを比較考慮し、両者が適正な均衡を保つことを目的として決定されるべきであるが、このような目的の下に立法がなされる場合において、具体的に制限の程度を決定することは、立法府の裁量に属するものというべく、その制限の程度がいちじるしく右の適正な均衡を破り、明らかに不合理であつて、立法府がその裁量権の範囲を逸脱したと認められるものでないかぎり、その判断は、合憲、適法なものと解するのが相当である。」

しかるに原判決は、憲法二一条の保障する表現の自由も一般職に属する国家公務員についてはその性質にかんがみある程度制限されることのあるべきことを認めつつ、国家公務員といえども、国家公務員である前に市民であるから、国家公務員であることからくる制限は必要最小限度でなければならないとし、国公法一一〇条一項一九号の制裁はこれを被告人の本件行為に適用する限りにおいて右の必要最小限度をはるかに超えるものであるとしているのである。

しかし、国公法一〇二条一項、一一〇条一項を制定した国会も、国家公務員の政治的行為の制限は憲法二一条との関係上必要最小限度のものでなければならないということも当然考慮したものと考えるべきであるから、裁判所が国公法一〇二条一項、一一〇条一項、人規一四―七の合憲違憲を判断するに当つての基準はその規定が国家公務員の政治的行為の制限として必要最小限度のものであるかどうかというのではなく、必要最小限度のものであるかどうかについての国会および人事院の裁量権の範囲を明白に逸脱しているかどうかの基準によらなければならないのである。これが最高裁判所判例のとる違憲審査の基本的態度であると考える。原判決は、国公法一一〇条の定める刑罰が国家公務員の政治的行為を制限する法目的達成のために必要にして最小限度の域をはるかに超えるものとしている。「はるかに超える」という表現を用い、国会の裁量権の範囲を明白に逸脱している場合を意味するが如く述べてはいるが、判断の基準はあくまでも必要最小限度であるかどうかであつて、国会の裁量権を尊重したうえで違憲かどうかを判断するという態度を示していないのである。

これは違憲審査の基本的態度の問題であるが、この態度の相違が後に述べる憲法三一条の解釈適用、さらには憲法二一条の解釈適用の誤りにも影響するものと考え、ここに敢えて一言した次第である。

2 憲法三一条の解釈適用の誤りについて

原判決は、違憲判断の根拠として、憲法二一条のほか憲法三一条をも引用している理由については、判文上何ら言及していないので明確を欠くが、恐らく、行為とこれに対する制裁とが均衡を失するときは憲法三一条の問題になるという考えによるものであろう。しかしながら、憲法三一条は科刑の手続が法律によるべきことを定めたものであり、かりにそれをやや広く解するとしても、手続の内容が適正であるべきことを要求するにとどまり、アメリカ連邦憲法の適正手続条項のように広汎な意味を持つものではない。このことは学者の研究により明らかになりつつある(例えば田中英夫・憲法第三一条について、日本国憲法大系八巻所収参照)。かりに同条が手続法のみならず実体法に関する規定をふくむとしても、いわゆる罪刑法定主義を宣明したにとどまり(例えば宮沢俊義・法律学全集憲法Ⅱ三九九頁参照)、罪と刑との均衡まで要求するものではない。従つて、原判決が被告人の本件所為に対して国公法一一〇条一項所定の刑罰をもつて臨むのは憲法二一条に違反するほか憲法三一条にも違反するとしているのは、憲法三一条の解釈適用を誤つたものというほかはない。

殊に原判決は、被告人の具体的所為と国公法一一〇条一項の法定刑とを比照しているのは比照すべからざるものと比照した誤りを犯しているのであつて、この点は後に再び触れることとする。

3 憲法二一条の解釈適用の誤りについて

(一) 原判決は、被告人の所為に対し国公法一〇二条一項、人規一四―七を適用してこれを規制することが憲法二一条に違反するかどうかの点については判断を避けている、しかし、規制違反に対する刑罰を定めた国公法一一〇条一項は被告人の本件所為にも適用される限度で違憲であるとし、憲法三一条のほか憲法二一条をも援用しているので、国公法一一〇条一項の制裁が果たして憲法二一条に違反するかどうかにも言及しておく必要があろう。

(二) まず、被告人の本件所為は選挙運動であることを指摘しておかなければならない。

いうまでもなく、選挙運動の自由も憲法二一条の保障する表現の自由の中にふくまれるのであるが、表現の自由の中においては特殊の地位を占めるものである。従つてその規制についても特殊の考察を要する。

表現の自由の中で最も規制に慎重な配慮を要するのは精神的自由である。これについては、過去において「明白にして現在の危険」という基準がたてられ、その基準に反する規制は許されないとされて来たのであつたが、これについてもアメリカの判例は次第にその基準をやわらげ、立法機関の判断に比較的広く自由裁量の余地を認める、いわゆる合理性の基準に移行しつつあるという(伊藤正已・言論出版の自由参照)。

表現の自由のうち政治的自由、就中選挙運動の自由は選挙運動の性質上かなり厳しい法律的規制もまた許さるべきものと考える。なぜならば、選挙運動は比較的短期間に多数の人々の関与の下に政治家の政治生命をかけ、政党の盛衰をかけてはげしく行なわれるものであるため極めて公正に行なわれなければならないものであつて、公正を害する行為はもちろん公正を疑わせる行為も極力避けなければならないのである。この間にあつて、一般職の国家公務員が一党一派に偏する行動をとるときは、それがかりに選挙取締法規に違反するものでなくても、選挙の公正に疑いを抱かせる虞があるものである。

本件は一般職に属する国家公務員の参議院議員通常選挙における選挙運動が問題とされている事件である。従つて憲法二一条の表現の自由の保障はあるにしても相当厳しい規制をすることも許される事案である。原判決にはこの点についての十分な配慮を欠くうらみがある。

(三) 原判決は被告人の本件所為に懲戒処分をもつて臨むのはともかく、国公法一一〇条一項所定の如き刑罰をもつて臨むのは行為と制裁との間に著しく均衡を失する観があるとする。これは、懲戒処分と刑罰という異質の制裁を同一平面に並べて観念的にその軽重を比較する誤りを犯しているばかりでなく、さきにも一言した如く、被告人の本件所為という具体的な行為と国公法一一〇条一項所定の抽象的な法定刑とを比較してその軽重を論ずる誤りを犯しているものである。

最高の懲戒処分と国公法一一〇条一項所定の最低の刑罰とを比較する場合実質的に見て何れを重しともしがたいのである。

また、国公法一〇二条一項にもとづく人規一四―七の規定する政治的行為には多種多様なものがある。被告人の本件所為をその中において軽いものと見るならば、国公法一一〇条一項所定の刑罰の中から被告人の所為に相応する刑を選択すればよいのである。このように刑と被告人との所為との均衡を論ずるのは、いわゆる量刑の問題であつて憲法二一条の問題ではないが、かりに憲法二一条により国家公務員の政治的行為の規制が最小限度のものでなければならないとし、その最小限度という中に規制違反に対する制裁もまた最小限度でなければならないという意味をふくめるとしても、被告人の本件所為に対し国公法一一〇条一項の法定刑の最下限でもなお著しく重いとは考えられない。

原判決は、人規一四―七の規定する政治的行為の多様性を認めながら、国公法一一〇条一項が政治的行為の制限に違反した国家公務員に対し、一律に「三年以下の懲役又は一〇万円以下の罰金」というようなかなり重い刑罰を科することとしているのは憲法二一条との関係で相当疑問であるとするのであるが、これは正当でない。なぜならば、国公法一一〇条一項は決して一律に重い刑罰を科することとしているのではなく、軽い行為に対しては軽い刑罰を科することを当然のこととし、被告人の行為が軽いのであれば法定刑中の最も軽い刑にさらに酌量減軽をした刑を科することもできることとなつているのだからである。極めて軽微な窃盗に対してもその法定刑が一〇年以下になつているということでその法定刑が違憲であるとする説はない。

(四) 原判決は、第一審判決が、国公法一〇二条の改正経過、同条に関する最高裁判所判例、他の公務員法関係法規、臨時行政調査会の意見、公務員の政治活動に関する外国の法制、他の公務員関係犯罪に対する刑罰等を詳細に検討したうえ原裁判所と同趣旨の見解に到達しているとしているが、第一審判決がこれらの事項を検討したことの当否に触れることがないばかりでなく、これらの事項の検討が結論にどう結びついているのかも明らかにせず、率然と第一審判決がこれらの事項を検討したことをあたかも原判決の結論に到達する正しい過程であつたかの如く述べているのは理解に苦しむ。

第一審判決がこれらの事項を検討したのは、現に最高裁判所に係属中の被告人大沢克已に対する国家公務員法違反被告事件(御庁昭和四四年(あ)第一五〇一号―いわゆる猿払事件)の第一審判決にならつたものと思われるが、それらの事項の検討がこの場合必ずしも適当でないことについては右被告事件の検察官の上告趣意に明らかであつて、本件では原判決自らこれらの事項を検討していないので、ここではこれ以上喋々する要を見ないものと思う。

(五) 原判決は被告人の本件所為を軽微なものとし、その理由として特に前掲第一の二ないし六に掲げた付随事実を挙げているが、被告人の本件所為は、第一審判決が弁護人の公訴権濫用の主張を排斥するに当り認定しているように、本件選挙に当り国公法違反となるような行為を厳につつしむように注意した記事の掲載された徳島郵便局調査課回覧の郵便公報を閲覧しその違法であることを十分に認識しながら敢えて行なつたものであり、被告人は本件所為に出るに当り、あらかじめ神山町役場で下分公民館付近居住者の住民票を閲覧したうえ本件演説会開催案内などのためのはがき約一〇〇枚の宛名書きをし、かつ演説会当日会場附近を宣伝カーに乗車して演説会開催をふれるなど計画的であり、さらに本件会場では演説しただけでなく、「ベトナム問題の正しい解釈とは何か」ほか四種類の日本共産党中央委員会発行の文書を販売しており、また検察官が控訴趣意において証拠を挙げて主張したように、被告人は演説会場において、武知・須藤両候補の紹介推せんにかなりの時間を費したり、須藤候補については当日欠席した同候補の投票依頼の書簡を代読までしているのであるから、被告人の本件所為が人規一四―七、六項八号に定める勧誘運動中で最も軽いものに属するとはいえないのである。原判決は、被告人の本件所為をもつてあたかも可罰性の否定される程軽微なものの如くみなしているのは、その実体を過少評価したものといわざるを得ない。

(六) 原判決は、国公法一一〇条一項一九号が少なくとも被告人の本件のような行為にまでその所定のような刑罰を科している限りにおいて違憲無効であるとしているのであるが、ここにいう「限りにおいて」法律が違憲無効になるという意味には明確を欠くものがある。こういう思考方法は、前掲猿払事件の第一審判決がとり、その後本件第一審判決、右猿払事件の第二審判決などがこれにならい、本件の原判決に至つているのであるが、猿払事件の第一審判決は国公法一一〇条一項一九号が同法一〇二条一項に規定する政治的行為の制限に違反した者という文字を使つているため制限解釈の余地がなく、国公法一〇二条一項を受けている人規一四―七も全ての一般職に属する職員にその規定の適用があることを明示しているため、「本件被告人の所為に国公法一一〇条一項一九号が適用される限度において」違憲になるといわざるを得ないとしたのである。つまり制限解釈の余地がないため限定違憲の立場をとつたというのである。ところが昭和四四年四月二日最高裁判所大法廷判決(集二三巻五号六八五頁)は、昭和四〇年法律六九号による改正前の国公法九八条五項(職員の争議行為禁止に関する規定で現在の同条二項と同じ)とその罰則に当る国公法一一〇条一項一七号(現行法と同じ)に関し、これを文字どおり解すれば違憲になる疑いがあるが、法律の規定は、可能なかぎり、憲法の精神に即し、これと調和しうるよう合理的に解釈されるべきものであるとし、そのように限定解釈すれば前記国公法九八条五項はもとより同法一一〇条一項一七号も憲法二八条その他の憲法の規定に反しないとした。

ここに限定解釈をすることにより法律の違憲判断を避けようとする思考方法とそれをせず、またはそれを不可能として部分違憲の結論に向う思考方法の対立があり、その利害得失は昭和四六年一一月一日東京地裁民事一一部判決(判例時報六四六号三四頁)が示しているとおりであるが、何れにもかなりの無理を伴うものである。このことは結局法の予想しない結論を前提としてその理由づけを法の中に求めようとするからである。

(七) そこで国公法一〇二条、人規一四―七、国公法一一〇条一項の立法の趣旨に立ち帰つて考えるならば、一般職の国家公務員がその全国的または地方的な組織を利用して政治的行為、殊に選挙運動をすることになれば、その公務員の地位や権限との関係如何を問わず、公務員の全体に対する奉仕者性に危険を及ぼし、当該公務員の担当する公務の公正さらには当該公務員の属する公務所の公正に対する疑いをいだかせ、選挙の場合に即していえばその公正に疑いをいだかせることになる。そこに右規定の立法趣旨があると考える。そうであれば、国公法の右規定はいわば抽象的危険犯を規定したものというべきであるから、これに対し特定の公務員の特定の政治的行為のみを他の公務員の同種行為と切り離してその影響力の軽微であることを強調し処罰の対象から除外しようとするのは誤りであるというべきである。本件原判決は、その誤りを犯しているものである。

このような考えは、昭和四四年六月一四日東京地裁刑事第二部判決(いわゆる統計局事件、判例時報五六六号三頁)によつて支持されており、いわゆるミッチェル事件におけるアメリカ連邦最高裁判決(United Public Workers of Americav.Mitchell, 330 U.S.75((1946)))の多数意見もこれと同じである。

(八) 以上により原判決は憲法二一条の解釈適用を誤つたものというべきである。

二 判例違反

原判決が国公法一一〇条一項一九号が被告人の本件所為にまで同条所定の刑罰を科している限りにおいて、憲法二一条、三一条に違反して無効であるとしたのは、憲法の解釈に関する判例に相反する判断をしたものである。

1 原判決は、昭和三三年三月一二日および同年四月一六日の最高裁大法廷判決(集一二巻三号五〇一頁、同六号九四二頁)に違反している。

この両判決の判例集掲載の要旨は、国公法一〇二条は憲法一四条に違反しない、または国公法一〇二条は憲法一四条および二八条に違反しないとなつていて、そこには本件で問題とされている憲法二一条との関係が挙げられていない。

しかし、両事件の上告趣意はともに憲法二一条の表現の自由を公務員なるが故に奪うことになる国公法一〇二条は憲法一四条に違反しているという論理構造をとつているのであるから、その主張の中心は憲法二一条関係にあつたとも見られるのである。

このような構造をもつ主張に対し、右各大法廷判決は、「公務員は、すべて全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者でないことは、憲法一五条の規定するところであり、また行政の運営は政治にかかわりなく、法規の下において民主的且つ能率的に行なわるべきものであるところ、国家公務員法の適用を受ける一般職に属する公務員は、国の行政の運営を担任することを職務とする公務員であるから、その職務の遂行に当つては厳に政治的に中正の立場を堅持し、いやしくも一部の階級若しくは一派の政党又は政治団体に偏することを許されないものであつて、かくしてはじめて、一般職に属する公務員が憲法一五条にいう全体の奉仕者である所以も全うせられまた政治にかかわりなく法規の下において民主的且つ能率的に運営せらるべき行政の継続性と安定性も確保されうるものといわなければならない。これが即ち、国家公務員一〇二条が一般職に属する公務員について、とくに一党一派に偏するおそれのある政治活動を制限することとした理由である」とし、国公法一〇二条一項による公務員の政治的行為の規制を是認し、その規制により国家公務員の政治活動の自由が一般国民と差別されることとなつても、それは「合理的根拠にもとづくものであり、公共の福祉の要請に適合するものであつて、これをもつて所論のように憲法一四条に違反するとすべきではない」とし、第一審判決が被告人に対し公職選挙法の罰則とともに国公法一一〇条一項を適用して刑罰を言い渡し、第二審判決がこれを支持したのを最高裁判所が是認したものであるから、一般職に属する国家公務員が国公法一〇二条一項、人規一四―七に規定する政治的行為の制限に違反した場合これに国公法一一〇条一項を適用して処罰しても憲法に違反しないことを示したものといいうる。

このことは、昭和二三年一二月一日最高裁大法廷判決(集二巻一三号一六六一頁)が、裁判所は、法令に対する憲法審査権を有し、もしある法令の全部または一部が憲法に適合しないと認めるときはこれを無効としてその適用を拒否することができるとともに、有罪の言渡しをなすにはその理由において必ず法令の適用を示すべき義務があるものであるから、当事者においてある法令が憲法に適合しない旨主張した場合に裁判所が有罪判決の理由中にその法令の適用を挙示したときはその法令は憲法に適合するものであるとの判断を示したものにほかならないとした趣旨に徴しても明らかである。

しからば、本件の原判決が一部にもせよ国公法一一〇条一項の違憲をいい本件につきその適用を拒否したのは、冒頭掲記の昭和三三年における二つの大法廷判例に相反する判断をしたものというべきである。

もつとも、本件第一審判決は、右二つの大法廷判決のほか、昭和三三年五月一日最高裁第一小法廷判決(集一二巻七号一二七二頁)に言及し、これらの判決は公務員の政治活動の制限と憲法二一条の保障する表現の自由との関係について具体的な判断をしておらず、公務員の地位、立場、政治活動の行なわれた時間、場所等の諸要素を分析したうえで判断を加えているわけでもないのでそれらの最高裁判所判決に対しても個別的具体的な見地からの検討の余地が残されているとし、被告人の本件所為およびこれに関する具体的付随事実を細かく認定したうえ一部違憲の判断をしており、原判決もまたこれと同様の態度に出ている。

なるほど、右三判例のみならず、国公法一〇二条と憲法二一条または一四条、二八条等の関係を論じた従来の他の判決例も、本件第一審判決の認定した如き具体的場合を意識的に対象としてとり上げて法律論を展開したものではない。

しかしながら、すべての事件は、それぞれ、具体的事実関係を異にするので、具体的事実関係を細かく認定し、それについての判例を求めても、その認定が細かくなればなる程適切な判例は見当らないということになるであろう。しかし判例というのは、具体的事件を通じて示された裁判所の法律見解ではあるが、特定の具体的事件に適用されるだけではなく、それを越えて適用範囲を持つものでなければならない。ただ、どこまで適用範囲が広がるかについては、それぞれの判旨により広狭の差があり、また見解の違いの生ずるところではあるが、第一審判決の如く、本件のような事件についての具体的判断はなされていないということだけで、先行裁判例の判例性を否定することは誤りである。

なお本件と事案が酷似する昭和三四年六月一二日福岡高裁宮崎支部判決(同庁昭和三三年(う)第六一号国家公務員法違反被告事件)との関係につき一言する。

この事件は、鹿児島県霧島郵便局に勤務し、主として保険の勧誘集金等外務職の業務に従事する一般職の国家公務員が参議院議員通常選挙に際し所用のため立ち寄つた三軒の家で自己の所属する労働組合の推せんする特定の候補者のための投票勧誘の選挙運動を行なつたというのであつて、本件と同じように非管理職の現業公務員が、勤務時間外に国の施設を利用することなく、かつ職務を利用することなく行なつたものと認められるのである。もつとも右判決は判決文面にこそ、原判決の如く、意識して事案の具体性を細部まで確定して法律見解を示してはいないが、その法律判断の前提事実として証拠上に現れた事実はこれを考慮に入れていたと見るのが、裁判実務の常識であるから、もし福岡高裁宮崎支部が原判決のような具体的事実関係に重点を置く考えをとつておれば、原判決と同じような細かい事実認定を行なつたうえ、おそらく合憲に処罰しうるとの結論を出していたであろうと推測されるのである。

そうすれば、福岡高裁宮崎支部判決のとる考え方は、まさに原判決とその法律見解を異にするのであつて、ここにも原判決の判例違反があるものと解すべきである。

以上のほか、郵便局の職員の選挙運動を国家公務員法一〇二条違反として処罰した裁判例は非常に多い。このことは裁判所に顕著な事実である。もつともこれらの事例には、選挙法違反を伴うものが多く、前掲の統計局事件に関する東京地裁刑事第二部の判決もそのことを合憲処罰の一つの根拠にしているようであるが、全国的に見れば、選挙法違反を伴わず、政治行為禁止違反のみで処罰された事例(例えば、前掲の昭和三三年五月一日第一小法廷判決の事例)もあるばかりでなく、選挙法違反を伴うから国家公務員法違反になるという論理には、必ずしも納得し難いものがあるので、判決文の上に原判決の如く具体的詳細な事実認定とそれに即した法律見解が示されていると否とにかかわらず、また選挙法違反を伴うと否とにかかわらず、原判決の憲法判断の当否を論ずるに当つてはこれらの先例も参照されるべきものと信ずる。

2 原判決は、裁判所の違憲審査権のあり方に関する前掲昭和四〇年七月一四日および前掲昭和四四年四月二日最高裁大法廷判決に反する。

右昭和四〇年の大法廷判決は、専従休暇不承認処分取消請求の民事訴訟に関するものであるが、そこに示された違憲審査権のあり方に関する部分は、事案の相違を超えて妥当する性質のものと考えられる。

すなわち、同判決は、地方公務員法五二条と憲法二八条との関係について、前掲の如く、要するに勤労者の団結権等を尊重すべき必要と公共の福祉を確保する必要とを比較衡量し、具体的に制限の程度を決することは立法府の裁量権に属するものとし、その制限が明らかに不合理で、その裁量権の範囲を逸脱したと認められるものではない限りその判断は合憲適憲なものと解するのが相当である、としているのである。この判示は、直接には労働基本権に関するものではあるが、それに限定して論ずるという趣旨は少しも見られず、むしろ労働基本権の問題に関連して、基本的人権一般の規制に関する裁判所の違憲審査権のあり方を示したものというべきである。

しかるに、前記のとおり、原判決は、右大法廷判決の判示する違憲審査の基準によらず、処罰規定の適用が、法目的達成のための必要にして最小限度の域内に止るか否か、という基準に準拠して違憲の判断をしているのであつて、この判例の示す違憲審査のあり方に反する憲法判断を行なつたものと評せざるを得ない。

また、昭和四四年の大法廷判決は、すでに述べたとおり、改正前の国公法九八条五項の争議行為禁止に関する規定とその罰則たる国公法一一〇条一項一七号とにつき、これを文字どおり解すれば違憲となる疑いがあるとしながら、法律は可能なかぎり合憲に解釈すべきものとし、違憲判断を避けたものであつて、本件原判決はこの例判のあることを知りながら合憲解釈の方法により得ないことを示さず率然と違憲判断に出たのは、右判例にも反するものといわなければならない。

以上のとおり、原判決は、憲法の解釈適用を誤り、判例に反する判断をしたものであるから破棄を免れないものと信ずる。             以上

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